住宅業界は全く考えていなかった学生時代
私の実家は、祖父の時代から伊丹で建売り住宅の分譲住宅業者として生計を立てていました。
分譲住宅業者がそんなに多くなかった時代背景もあり、
比較的良い生活環境を過ごせた様に思います。
住宅業界に入ることは全く考えておらず、
大学卒業時、大手住宅メーカーからも内定をいただきましたが、
選んだのは繊維専門商社で、12年間お世話になりました。
その後、医療法人を立ち上げた従兄弟からの誘いもあり、
商社を辞めて、医療法人の事務長に着任することになりました。
しかし、時が経つにつれ、いろいろ自問自答することが増えました。
最終的には医療法人を退職することになるのですが、
資格を有するという事がいかに説得力を持つかということを強く実感したため、
何か自分ではじめなければと思い描くようになりました。
当時の私が興味をもっていたのは飲食業
資格と言っても、その時は宅建資格は全く頭の中にはなく、
当時私が漠然と興味をもっていたのは飲食業でした(笑)。
料理が好きでもなく、包丁も握った事もなかったのですが、
「どうせゼロから始めるのだから、全くの畑違いもありかな」と、
高知県出身の両親にちなんで、高知の郷土料理、皿鉢(さわち)料理の店でも良いかな?」
という安易な気持ちで、夜行バスで高知県へ何度か足を運び、
調理師免許を取得すべく、修業先も見つけだしました。
しかし、ふと「自分の人生、本当にこれでいいのか」と思った時があり、
今一度、身の振り方を考えることにしました。
そんな時期にハローワークでたまたま「宅地建物取引士」
(当時は「宅建主任者」)の資格取得の案内が目に入りました。
不動産業は全く選択肢に入れていなかったのですが、その時から「本当はどうなんだろう?」
と思うようになりました。
何か資格を。。。ということで安易に考えていましたが、一度頭をクールダウンしようと思い、
不動産業を選択肢に入れてもいいかも、そんな思いが少しづつ大きくなっていきました。
「宅地建物取引士の資格取得を目指そうと思う。」
家族に告げたところ、家族からは大反対されました(汗)。
しかし、反対されるとおもしろいもので、私の中に燃えるものが出てきました(笑)。
合格率が13%ぐらいの狭き門
当時、宅建主任者の試験は合格率が13%ぐらいの狭き門で、
もし一回で合格しなければ、妻の希望する仕事に就くことを約束し、
妻から宅建主任者の試験を受けることを承認してもらいました。
ちょうど38歳のときでした。
当時、長女は小学校6年生で中学受験を控えていたので一緒に勉強した思い出があります。
三宮にある資格取得のための専門学校に通い、
帰りには図書館に寄って、閉館するまで勉強する日々が3ヶ月間、続きました。
その後、3ヶ月間は別の専門学校で学び、受験に向けてさらに机に向かう日々が続きました。
その甲斐あって、何とか一回の試験で合格することができ、
最終的には家族に不動産の道へ進むことを納得してもらい、
一番の目標である独立に向けて歩み始めました。
まずはどこかで修行のために実務の経験をしたいと思っていたところ、
知り合いから吹田にある不動産会社を紹介してもらうことができました。
そこで2年半、みっちりと不動産業務の基本を覚え、
地元・伊丹に戻り、念願の不動屋さんをスタートすることになったのでした。
本来は最低でも5~6年の修行が必用だったのではないかと思いますが、
2003年、42歳のときに、「ミヤビホーム」を生まれ育った地元伊丹で開業しました。
従兄弟の診療所の経営に携わっていたとき・・
話は少し戻りますが、従兄弟の診療所の経営に携わっていたときに、
診療所を移転するため、土地の買収も行って参りました。
その当時は将来、不動産業に就くことなど一切、考えていませんでしたし、
土地の売買に関しては全く素人でしたが、建築士の先生や行政書士の先生に助けてもらいながら、
田畑を宅地に変更する方法、里道や水路などの問題がありましたが、
町役場の手続きなども全て私が窓口となり、作業をさせていただきました。
その作業を通じて、工務店さんをはじめとする、
色々な人と知り合うことができたのも何かの縁だと思います。
今、思い返してみますと、その一連の流れも不動産業の道に進むための
布石だったのかもしれません。
何か見えない「縁」のようなものを感じます。
創業以来、「売り主よし、買い主よし、地域よし」の「三方よし」の精神を持って、
売買・仲介や事業主となって仕事に従事してきました。
起業時の「三方よし」の精神は今も変わっていません。
これまで突っ走ってきましたが、あの時にこうしたら良かった、ああしたら良かった、
もっとできたのではないかなどの後悔、反省すべき点はたくさんあります。
今まで16年間、何とか事業を継続させ、経験を積み、不動産知識もある程度蓄積してまいりました。
これからはお客様にさらにしっかりとミヤビホームの事業価値を届け、
地域の人に「相談ごとといえばミヤビホーム」と“純粋想起”していただけるよう目指していきたいと思います。
培ってきた経験を糧として、お客様と向き合い、お客様に喜んでいただき、
そのことで地域の活性化につながり、もっと地域貢献できるように。
これからも頑張っていきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。